学生自治会って何?



学生自治会とはなんでしょうか?学生の自治権とは何でしょうか?

この問題を考えるには、法律的に見て学生とは何かということ を考える必要性があります。

それは、大学と契約して、大学のサービスを買っている人という意味 です。

「そんなこと、どの法律に書いてあるんだ?学生と大学の関係には明確な法律が無いぞ!」と言われるかもしれませんが、そうではありません。

特別な法律が無いとき、私人と私人の取引や、私人と国の取引には、「民法」という法律が適用されます。

民法に書かれていることを一言で言えば、「日本は自由主義社会だ!」 ということです。

他人の土地を20年間占有したら自分の物になるとか、 青木雄二さんの漫画の「世の中ゼニや。」というのも、 すべて民法から生じています。

民法には、大学についての特別な規定は書かれていませんから、 一般のサービス業と客の関係に関する規定が、大学と学生の間に適用されるということになります。

実際に学生と大学の関係を判断した最高裁判例が、 かの有名な「東大ポポロ事件最高裁判例」です。

その判例には、国立大学と、学生の関係は、 サービスの売り手買い手の関係であるという意味のことが、 書かれています。

このことから分かるように、学生自治権は、大学の提供する学問サービスの範囲内で、 学問的研究をする権利なのです。

ですから、学生自治会は、大学から提供されるサービスとしての学問的研究とその発表会しかできず、学費値下げ運動などの政治的活動は出来ないのです。

左派系の一部学生が、大学の提供するサービスの中に、 学費値下げ運動が含まれていると、 主張していますが、それは間違いです。

国立大学の場合は、税金で運用されている国の機関であるため、法人化前の職員は、国家公務員法により、 学生団体の学費値下げ運動などの政治的活動に協力するような職権行使が、刑事罰をもって禁止されていました。

法人化後においても、国の出資による機関である限り、職権行使は政治的に中立でなければならず、違反した法人には行政処分が、違反した職員には解雇等の懲戒処分が下されます。

学生自治会が学費値下げ運動などの政治的活動を行う団体であれば、国立大学から施設を無償で貸してもらう等の特別な協力はしてもらえません。

大学の施設は、大学のサービス提供として行う学問的研究と教育のために、学生に利用環境が提供されているのであり、大学の施設を、学費値下げ運動などの政治的活動に利用することは、不法侵入罪となります。

大学以外の公的施設(役所や公営交通機関、公営病院など)で、市民が利用できるからといって、その施設内でビラ撒きやポスター貼りを行えば、直ちに不法侵入罪で逮捕されますが、それと同じく、大学内で同じことを行えば、不法侵入罪になるということです。

大学には、自発的に学問を研究発表できるサービス提供が在るだけで、それを間違えて政治的活動をしてしまった学生を、今まで、学生のやることだからと処分を大目に見ていた風潮があっただけで、不法侵入罪になることには違いがありません。

このように、国立大学の学生には、大学の施設を、学費値下げ運動などの政治的活動に利用する権利はありません。

それを許可する権限も、国立大学の学長や役員、教員、職員には無く、そのことは国民が皆知っていて当然のことなので、有効に許可を取得することは絶対に出来ません。

また、私立大学にも共通することですが、大学職員は、学生に対し、入学時の契約に基づく範囲内でしか、命令を出せません。

大学が、入学後に新しい規則を作ることもありますが、無制限に作れるものではなく、入学時の契約に基づく範囲内でないと無効になります。

もし、入学時の契約が、学問サービスを売ります・買いますという契約であるにもかかわらず、大学職員が学生に対し、学生自治会の政治活動への協力を強要した場合は、私立大学であっても、不法行為になります。

大学職員が、単位の取得や科目履修に不利益を課すことを掲げて、学生自治会の政治的活動へ協力することを強要した場合は、私立学校であっても強要罪という犯罪になります。

ならば、入学時の契約に、学生自治会の政治活動への協力を明記すれば、合法になるのかというと、後で説明しますが、私立大学であっても、行政処分を受けかねないので、そういう契約を結んでいるところはありません。

私立学校で学生自治会費を大学が徴収しているところは、あくまでも「学問的研究とその発表のための費用の徴収」であるとして、文部科学省や警察などの行政機関に説明しているのです。

学生自治会が、大学の職員から学生自治会費の徴収を許可してもらっても、 その許可は、大学職員の職権の範囲内でしか効力を持たないから、 学費値下げ運動に学生自治会費を用いることは出来ないのです。

特に国立大学の場合は、大学の指示で全員から徴収した学生自治会費で、学費値下げ運動等の政治的活動を行うことは、横領罪や背任罪、詐欺罪などの犯罪であるとして刑事責任に問われるだけでなく、非行事件として退学処分などを受けます。

万が一、法律に反することを、大学職員が間違えて許可したり、 許可しているように解釈できることを言った場合であっても、 その許可は法律上無効です。

法律的に無効ですから、それに従って使ったお金は、当然、不当利得となって、学生自治会費を払った人に自費で返却しなければなりません。

ただ、間違えて許可を出した大学職員に、返却させられた金額を、 過失の割合で請求することはできます。

学生自治会が学費値下げ運動を出来ない理由については、下の方でもっと詳しく書いているので、最後までじっくり読んでくださいね。


左翼系の人の中には、大学職員の職権行使が無くても、 学生自治会規約で活動できるという人がいますが、それは間違いです。

なぜなら、学生自治会規約には法律的効力が無いからです。

任意加入団体では、 会員は、「規約に従うことに同意する」という契約を、 執行部との間で交わすことで、民法の作用で規約に拘束されます。

けれども、全員加盟制の学生自治会では、会員は、そのような契約を交わしていませんから、規約に拘束されないのです。

規約の効力が全員に及ばないということは、「学生自治会」という全員加盟制の団体は、実は存在しないということです。

他大学の左翼系自治会が、「うちの大学は、大学当局が公認した。」と言うかもしれませんが、大学当局がどんな法律を使っても、「学生自治会」という全員加盟制の団体は作り出せないのです。

もちろん、何をもって「全員加盟制」と呼ぶかという定義の問題がありますから、 例えば、「活動に対して意見できる機会を全員に設けること」、 「全員を自動的に会員名簿に勝手に載せるということ」、 「単に規約に『全員加盟』と書くということ」などを、 「全員加盟制」という言葉で表現するなら、 「全員加盟制の団体は存在する」と表現できますが、 普通は、「規約の効力が全員に及ぶということ」を「全員加盟制」と呼ぶべきでしょう。

それでは、なぜ、学生自治会規約に法律的効力があるように見えるのでしょうか。

「全員加盟制の学生自治会」と呼ばれているものは、法律的にはどのような扱いになっているのでしょうか。

それについても、後の方でもっと詳しく書いているので最後まで読んでくださいね。


左翼系の人の中には、 「学生自治は、法律で説明できるものではない。」と言っている人がいますが、それは間違いです。

法的な権利を主張するためには、「この法律に基づいて、こういう契約をしたから、自分にはこういう権利がある。」という説明をしなければなりません。

左翼系の人は、裁判に訴えるのが好きな人が多いですが、感情的に、「学生自治だ!学問の自由だ!」と騒ぐだけの人も多いようです。

また、左翼系の人の中には、法律を破ることを法律の枠を「超える」と表現することによって、「法律を破っているのではない。」と詭弁を垂れる人たちもいるようです。

日本国内にいる限り、日本の法律の枠から逃れることができないのは当然ですから、法律的に考えることが重要です。

ここでは、感情をなるべく含まないように、法律的に考えるようにしています。


前述のとおり、大学と学生の関係は、一般のサービス業と客の関係と同じです。

全学連などは、裁判所や政府のこういう考えに反発して、「学生にも、大学の経営に参加する権利がある。」 とか言っていますが、決してそんなことは無いのです。

民法は、自由主義社会を宣言しているような内容の法律ですので、 全学連の言うような、計画経済的(共産主義的)学生自治権 は、絶対に出てこないのです。

左翼系の人の中には、「学生が大学の経営に参加する権利」が、 憲法の「学問の自由」から導き出されると言う人がいますが、 それは、完璧に間違いです。

そもそも、学問の自由をはじめとする、自由権というのは、 財産を媒介とする権利交換権と、財産所有権のことを言うからです。

(もっと厳密には、’財産を媒介とする権利交換権と財産所有権’を侵害されない権利を言いますが、ここでは省略します。)

例えば、1億円の仏壇を買って所有する権利は、 国民全員に、信教の自由で認められています。

しかし、お金が無くて、仏壇屋が値上げしたときに、 仏壇が買えなくなっても、 信教の自由の侵害にはあたらないのです。

なぜなら、仏壇を買うという信教の自由が有るけど、 それを実行するためのお金が無い状態だからです。

学問の例で言えば、大学に行くという学問の自由は、国民全員にあります。

けれども、学費が値上げされて、大学に行けなくなっても、 学問の自由の侵害ではありません。

大学のサービスを買うという学問の自由はあるけれども、 それを実行するための、お金が無いという状態だからです。

人身の自由も同様に、「自由な時間」というある種の財産的価値の所有権と、 交換権のことをいうのです。

例えば、お金が有って、一生遊んで暮らしている人を、 一時間でも無理矢理拘束すれば、人身の自由の侵害です。

なぜなら、 「自由な時間」という財産的価値の所有権と交換権が侵害されたからです。

けれども、生活のために仕方なく、毎日8時間働いても、 人身の自由の侵害ではないのです。

なぜなら、賃金と引き換えに、 「自由な時間」を雇い主に譲り渡したにすぎないからです。

それでは、自由権はすべて「経済活動の自由」でしょうか?

そうではありません。

例えば、ある人が、共産主義の解説本を所有していたとしましょう。

この本が、共産主義の思想を含んでいることを理由として、1円でも税金を課したら、 思想信条の自由の侵害になります。

けれども、この本が、骨董品で1億円で売れることを理由として、同額の税金を課しても、思想信条の自由の侵害にはあたりません。

この二つの場合は、どのように違うのでしょうか?

両方の場合とも、本という財産を所有する権利に対する制限です。

また、税金の金額は同じですから、経済活動の自由に対する制限の大きさは同じです。

この二つの場合の違いは、財産を所有する権利を、 制限するために使った理由にあるのです。

財産を所有する権利には、経済的な面と精神的な面がありますが、 精神的な面のほうを理由として制限してはならないのです。

このように、自由権は、すべて、本質的に財産媒介の権利交換権であって、 それを制限するときに使えない理由の種類で、 思想信条の自由や、信教の自由や、学問の自由などに分類されているのです。

自由権というのは、こういうものなのです。

また、民法は自由権を法律に表したものなのです。

ですから、自由権だけでは、金持ちの人しか自己実現ができないのです。

そこで、お金の無い人のために、国が、立法政策や行政政策で、 経済的敗者の救済・復活制度を設けることによって、 経済的に補助をして、 お金の無い人でも、少しは自己実現できるようにしているのです。

このときの、国から補助してもらった権利のことを、社会権といいます。

教育の分野では、国立大学の学費を安く提供してもらえたり、 奨学金が受けられたりするのが、教育を受ける権利という社会権です。

ちなみに、このように、基本的には自由権による権利交換を行いつつ、 そこで生じる経済的敗者の救済・復活制度を充実させることによって、 人間的な社会を作ろうとする主義のことを、 社会民主主義(社民主義)といいます。

これに対して、共産主義は、 国家が国民の生活の面倒を見るのが原則ですから、いわば、 社会権を原則とする主義です。

日本では、学生と大学の間の権利関係について、特別な立法政策はされていませんから、 原則である自由権による権利交換が適用されることになります。

自由権による権利交換が適用されるということは、 民法が適用されるということです。

学校教育法や教育基本法は、学校の規制と行政機関の役割を規定する法律ですので、 学生と大学の間の権利関係を直接規定するものではありません。

ということで、左翼の人が言う「学生が大学の経営に参加する権利」 は、「学問の自由」からは導けないのです。

左翼の人のなかには、「学生が大学の経営に参加する権利」が、 法律が無くても、憲法から直接導き出せると主張する人もいますが、 そういう考えは間違いです。

もし、そんなことが出来たら、憲法と裁判所だけで、 国民の権利関係が決まることになり、国会の立法作用が必要なくなります。

裁判所のような、国民のコントロールが効かない官僚組織だけで、 国民の権利関係が決まれば、共産圏の国よりも恐ろしい事態になります。

ですから、憲法は、それぞれの法律の有効に通用する範囲を決めるルールであって、 直接に国民の権利関係を規定することは無いのです。

憲法違反による損害賠償請求訴訟というものがありますが、これは、 民法の「不法行為債権」の規定が、どこまで及ぶかという裁判なのです。

なお、「不法行為債権」とは、有形、無形、あるいは、物質的、精神的を問わず、 財産的価値が侵害され、損害が発生した場合に、その損害を弁償してもらう権利のことです。

「理工学部の某教授が、『国立大学と学生は、特別権力関係だから、 民法のような一般権力関係は適用されないんだ。』とか、 言ってたぞ!」というかもしれませんが、それは完璧に間違いです。

特別権力関係が、治外法権のように言われていたのは、 大日本帝国時代の話しで、 国の機関の行為に、問題が生じても、 裁判所で取り上げることができませんでした。

戦後の早い時期に、 下級裁判所の一部の判決に治外法権のようなことが書かれたものも有りますが、 現在では、在学関係の特別権力関係は、 民法に従って、契約を結ぶことによって生じる契約関係と説明されています。

ちなみに、一般権力関係とは、一般の統治権発動である、 犯人逮捕とか、行政処分などによる権力関係を言います。

左派系の人には、民法の慣習規定というものを持ち出して、 違法な行為でも毎年毎年継続して実行すれば、 適法な行為になると言っている人がいますが、それは間違いです。

確かに、違法な行為を行った責任は時効で消滅しますが、 違法とされている行為を何年繰り返し行っても、適法な行為とはされません。

今まで民事の不法行為責任や 横領罪や背任罪、詐欺罪、不法侵入罪などの刑事責任を問われずに済んでいても、 今年からは訴えられたり、刑事告発されるかもしれません。

民法というのは、契約などの取引をする当事者それぞれの権利を規定しているので、 慣習規定でいう慣習とは、取引での意思表示における慣習のことです。

たとえば、最近の自動販売機には、「ジュースを売ります」と書いていないものがあります。

もしかすると、機械を置いているだけで、ジュースを売る気は無いかもしれません。

そうだとすれば、出てきたジュースを勝手に持って行ってはいけないことになります。

けれども、裁判所に訴えられても、たぶんそのような判断にはなりません。

なぜなら、自動販売機を路上に置くということは、 ジュースを販売するという意思表示であるという慣習があるからです。

もし、機械を置いているだけで、ジュースを売る気が無いならば、 そのことを表に書いて貼っておかなくてはなりません。

大学の入学契約についても同様です。

大学の入学契約は、大学の学問サービスを売ります・買いますという意思表示の契約であって、それだけでは大学の運営への参加という法律的効果は含まないのです。

大学の運営に参加するには、入学契約とは別に、大学の業務を委託します・委託されますという契約をしなければなりません。

業務委託というと、アルバイトと考えがちですが、それだけではありません。

大学当局の決定に基づいて、大学当局から任された活動は、学生だけの活動であっても、無報酬であっても、大学当局の権限行使であり、業務委託になります。

業務委託契約を、委託する学生それぞれと結べば、 「学生が大学の運営に参加できる」とも言えます。

しかしそれは、その学生が「大学当局側の立場を兼務した」あるいは 「大学職員を兼務した」と表現するべきでしょう。

ですから、学生は「大学のサービスを買っている人」と定義されるのです。

「大学のサービスを買う」と表現すると、一方的に知識を詰め込むようなイメージを持ちがちですが、そういう意味ではありません。

学生は、大学の研究に参加させてもらうことで、大学の研究活動を体験するというサービスを買っているのです。

そのため、「学生は研究者である。」とも表現できますが、そのことを、大学の運営に参加できる権限と結びつけるのは誤りです。

教員が大学の運営に参加できるのは、大学職員としての雇用契約があるからで、研究者であることが、直接の理由ではありません。

また、大学に雇用されているといっても、教授と任期付研究員、正職員とパート事務員、アルバイト作業員では、大学の運営について、職務として意見できる権限の範囲が異なります。

教授は、大学の運営ついて自由に意見できる身分として雇用されているので、公費を使って「学費値上げ反対」などと、職務として意見することも、公費使用の決済手続きを踏めば可能であるようです。

これを真似して、アルバイト作業員が、たまたま自分の手元にあった公費を使って、「学費値下げ反対」と意見したならば、直ちに業務上横領罪や背任罪に問われます。

アルバイト作業員が職務として大学の運営に意見できる範囲は、上司である教授の許可した範囲内で、上司である教授の名において、意見できるにとどまります。

アルバイト作業員が、上司の教授が許可した範囲外で、大学の運営について、公共のために発言したいときは、大学の設備や公費等は一切使わずに、大学のアルバイト職員であることも伏せて、個人の一般市民の政治活動として発言するしかありません。

大学職員(アルバイト作業員を含む)が政治的活動をするにあたって、大学職員であることを伏せなければならないのは、大学職員であることを表明することが、大学職員という公的身分を政治的活動に利用したことになり、当然に処分の対象となるからです。

もちろん、身分を伏せて一般市民の個人として自己負担で政治活動するのであれば、学生でも、法人化後の大学職員でも、一般市民の政治的自由として認められており、それは大いに尊重されるべきこととされています。


左翼系の人の中には、中世の大学の例などをあげて、「政治活動する学生自治会の無い大学は、大学ではない。」とか言っている人がいますが、それは間違いです。

そもそも、中世封建時代に「学問の自由」なんてありません。

封建時代の支配システムとして、被支配民に「自治組織」を作らせて、支配者にとって都合の悪い事件が起こると、「自治組織」の構成員全員に連帯刑罰を課すという方法が用いられていました。

支配者から連帯刑罰を受けたくないので、被支配民は「自治組織」内部で互いに監視し合い、不穏な動きを見せる者には、「自治組織」内部の私的刑罰によって大人しくさせるようになりました。

そのような中世封建時代の「自治組織」による息苦しい支配システムが、市民革命によって解体され、個人の自由が確立されることで、「学問の自由」をはじめとする「自由権」が誕生したのです。

中世の大学の例をあげて「大学」を定義するのは、大間違いであることがわかります。

では、何をもって「大学」を定義すればよいのでしょうか。

日本語の「大学」という言葉の定義は、文部科学省の定めた大学設置基準に基づいて、国が認可した学校ということになっています。

どんなに高度な教育が行われていても、国が「大学」として認可していない学校は、 いわゆる「各種学校」であって、「大学」ではないのです。

中世に「大学」なんてありませんから、中世の「各種学校」の例をあげて、現代の「大学」についての話をしても意味がありません。

今の日本の「大学」においては、国が認可した学校という点が重要です。

国が「大学」として認可した学校であるから、卒業生は、大卒として、企業の採用試験を受けることができますし、経済的弱者の救済・復活政策として、国庫から大学へ補助金が出されているのです。

また、大学は、国から認可されることで、学生に対する「大学卒業資格の認定権限」を持つことになります。

この権限は、国が与えた特別な権限であるから、私立学校であっても、学校法人が好き勝手にできるものではありません。

国は、集会結社の自由が憲法に定められているため、国が与えた特別な権限が、政治的活動に利用されないよう監視する責務があります。

大学としての特権を、政治的活動に利用しようとする学校法人があれば、国は行政指導によって、是正しなければなりません。

入学時の契約に、学生自治会の政治活動への協力を明記することによって、 政治活動に参加したくない学生を、不公正に排除している私立大学があれば、国は、補助金削減や業務停止命令などの行政処分を行う必要があるでしょう。

このように言うと、私立大学の思想信条の自由を侵すものだと批判があがりそうですが、それは間違いです。

国が与えた特権を、政治的活動に利用するのが問題なのですから、 私立大学が儲けた利潤を使って、私立大学自身が政治的活動を行う場合については、問題はありません。

入学時の契約に、政治的活動への協力を明記したいのであれば、国が与えた特権をすべて返上して、ただの「各種学校」になればいいのです。


以上のことを踏まえて、やっと本題である「学生の自治権」についての話に移ります。

「学生の自治権」とは、学生が持つ特別な権利のことです。

そして、学生と大学の法律上の関係は、普通のサービス業と、お客の関係と同じでした。

それでは、「お客さん」が持つ特別な権利というのは、何なのでしょうか?

ゲームセンターでは、おカネを払って、ゲームを実行する権利を買います。

ゲームを実行する権利が、ゲームセンターでの「お客さん」が、 特別に持つ権利です。

そうすると、学生として特別に持つ権利は、 大学から購入した学問サービスを実行する権利ということになります。

購入した学問サービスを実行するとは、例えば、授業に行ったり、 研究をしたりすることです。

大学から購入した学問サービスを、自分は、実行するかしないか、 自分は、どのように実行するか、それが「学生の自治権」です。

また、この権利は、学生しか持たない権利であるから、 ”学生の固有の権利”です。

「学生の自治権」に対するこの見解は、全学連などの左翼学生の考えとは大きく異なりますが、東大ポポロ事件の最高裁判例で示されたものであり、文部科学省の公式見解でもあります。

国公私立の各大学が「大学」として認可を受けるにあたって、文部科学省に対して示している「学生の自治権」に関する公式見解も当然にこの内容です。

うるさい暴力的な左翼学生などを大人しくさせるために、微妙な表現を用いて彼らに勝手に誤解をさせることで、彼らを大人しくさせるという「教育的工夫」をしている大学が一部にあり、全学連などの左翼学生は、その「教育的工夫」の影響で勝手に誤解をしているに過ぎません。

学問的研究であっても、大学に無断で勝手にやっている研究は、「学生の自治権」に基づく活動ではありません。

もちろん、自宅で自費で研究をする場合は、研究を行う権利が有りますが、その権利は、「学生の自治権」ではなく、国民が誰でも享有する「一般的な学問の自由」に含まれる権利ですので、「学生の自治権」と混同してはいけません。

大学の運営に対する要求運動などは、当然、「学生の自治権」に基づく活動ではありません。

国民が誰でも享有する「市民運動をする権利」に基づく活動であるから、「実社会の政治的社会的活動」に分類されます。

このように言うと、学生の自治権が、 大学自治と関係がないように思えますが、そうではありません。

もし、学生が、左翼団体などによる外部からの煽動に引っかかって、 授業をボイコットするようになれば、 大学の自治は維持できなくなってしまいます。

学生は、左翼団体等の煽動等に惑わされることなく、 真面目に学問サービスを実行することで、大学の自治を守っているのです。

左翼系の学生自治会によると、30年くらい前に、東大学長(総長)が、 「学生も”固有の権利”を持って、大学の自治を担っている」 と発言したそうですが、そういう発言は、 東大学長(総長)の職権の範囲に収まるように、解釈しなければなりません。

’学費値下げ運動をする団体の会費を全学生から強制徴収する権限’を、 国家公務員であった当時の東大学長が授与するわけがないですし、 常識で考えても、そんな権限を授与する権限が東大学長にあるわけがない、 と解かるはずです。

大臣や裁判官が持つような公権力的権限の方面においては、東大学長の地位は「さほど偉くない」のです。

偏差値的な偉さと、公権力的な偉さは、全く別物なので、区分して考えることが重要です。

学生自治権は、この様なものですから、学生の自治権では、 大学の提供するサービスが悪いときに対抗できないのです。

学生自治会が、大学当局に対抗しているように見えることがあっても、 そうではないのです。

なぜなら、学生自治会それ自体が、大学の「学問サービス」であるからです。

「教育的工夫」として、学生自治会という全員加盟制の団体があるかのように、 大学当局が振舞っているに過ぎないのです。

「教育的工夫」として、学問的精神を教育するためという建前で、学生自治会という仮想的団体をロールプレイングしているのです。

一言で言えば、「法人ゴッコ」、ママゴトのようなものなのです。

ママゴトは、子供に実物を触らせると危ないときに、似て非なる代替物で子供を満足させることで、大人しくさせるという「教育的工夫」です。

学生自治会は、仮想的団体という点では、高校以下の生徒会と変わらないということです。

学生自治会のしていることを法律的に分析すれば、 大学の現状について学問的に研究した結果を、大学当局に発表して、 意見を求めているに過ぎないのです。

学生大会の決議や、学生自治会の選挙の結果も、 大学の学問サービスの一環として実施されたものであるから、 どれだけの学生がどのように考えているかという研究をしたにすぎないので、 単なるアンケートにすぎず、その結果に、 法律上の効力は、何もありません。

大学当局が、その結果を見て、審議したうえで発動した命令によって、 学生は拘束されます。

決議や選挙の結果に合わせて、いつも、大学が決定を出しているから、 法律的効力があるように見えるわけです。

また、学生自治会の人間が、権限を持って学生を管理しているように見えるときがあっても、それは、法律的には、大学当局から業務委託されて、大学職員の管理権限で管理しているのです。

ですから、学生自治会費を徴収したり、学生自治会費を使うには、学生大会の決議や、選挙の結果を、大学の担当職員に見せて、決定を貰う必要があるということになります。

なぜ、集めた会費を使うのに大学当局の命令が必要かというと、 払いたくない人から会費を徴収するのに、 大学当局の管理権限を使ったからです。

つまり、学生自治会活動を、学生が大学から買っている学問サービスの一環と位置付けて、大学のサービスの代金として、学生自治会費を徴収しているからです。

大学と各学生の契約に基づく、大学のサービスの代金という扱いで徴収する意外に、 払いたくない人を含む全学生から、学生自治会費を徴収する合法的な方法がありません。

支払いが任意であるのに、義務と見せかけて徴収したりすると、詐欺罪で処罰されます。

また、学生自治会は、それ自体が大学の教育サービスであるから、 大学は、各学生との間の契約関係に基づいて、 大学サービスの提供者としての責任を持って、 学生自治会を管理しなければなりませんので、 学生自治会の「役員」は、そのサービス内で適切とされる役割を、 演じ遂行する義務があります。

大学の決定を貰わずに、学生自治会費を使った場合は、 民事上の不法行為として、会費を払った人それぞれに、 全額を自費で賠償させられるだけでなく、 横領罪や背任罪といった犯罪として、刑事罰が課され、さらに、 非行事実を理由として退学や停学などの懲戒処分の対象となります。

学生自治会の会費を払った人は、大学との契約に基づく大学からの命令に従って、 学生自治会費を支払ったのであって、 学生自治会執行部の人と会費を払った人の間には契約がないから、 大学の指示に従わずに会費を使ってはならないということです。

契約を結んでいない人のお金を使った場合は、 不当利得になるから、弁償しなければならず、 また同時に、横領罪や背任罪などの刑事罰の対象にもなります。

もちろん、学生自治会の会費を、学生から強制徴収せずに、 100%を払いたい人からの寄付金でまかなって、活動するなら問題ありません。

けれども、それは、大学のいう「全員加盟制の学生自治会」の活動ではなく、 「学生自治会」という名前の任意加入の市民団体としての活動です。

これは、例えば、佐賀大学の職員が、私的に飲み会を開く時、 飲み屋の予約を、『佐賀大学』という名前で取った場合、その飲み会は、 『佐賀大学』という名前の団体の活動であるけれども、 個人がお金を持ち寄って活動しているので、 国の機関の「佐賀大学」の活動ではなくて、 『佐賀大学』という名前の市民団体の活動であるというのと同じです。

100%を払いたい人からの資金で活動する「学生自治会」が、たとえ、全員加盟とする「規約」を掲げて、その「規約」に従って選挙を行ったとしても、それは、「学生自治会」という名前の任意加入の市民団体が、「規約」と称する文書を掲げて、「選挙」と称するアンケートを行ったのであって、大学当局のいう「全員加盟制の学生自治会」の活動ではありません。

そんな団体が、どんな選挙を行っても、どんな決議を行っても、大学当局のいう「全員加盟制の学生自治会」の活動にはならないので、全員から会費を強制徴収する権限は生じません。

左翼学生自治会の多くのように、 大学サービスの代金徴収ではないのに、大学サービスの代金徴収と見せかけて、 「学生自治会の会費」を集めた場合は、民事上の返還義務が生じるのはもちろん、 詐欺罪として刑事責任が問われるほか、停学や退学処分の対象にもなりますので、 絶対に真似してはいけません。

「学生自治会の会費」と称して詐欺で集められた資金を「補助金」として譲り受けた場合も、「犯罪収益の譲受けの罪(組織犯罪処罰法違反)」といった刑事責任が問われるほか、停学や退学処分の対象にもなりますので、絶対に真似してはいけません。

大学の指示を受けて、 大学サービスの代金として全学生から強制徴収した学生自治会費を、 大学の指示を受けずに使用した場合も、大学の指示を受けずに使用した部分は、 「学生自治会」という名前の任意加入の市民団体の活動であって、 その活動に、大学サービスの代金を横領したという扱いになって、 横領罪で処罰の対象となります。

また、学生自治会の「役員」の学生に対して、そのような行為を起案や要求する行為も、 暴力事件の起案や要求の場合と同様に、起案や要求をする行為自体が、 犯罪のそそのかし行為であるとして、 詐欺や横領の幇助罪や教唆罪として刑事罰の対象となりますので、 絶対に真似してはいけません。


100パーセントを払いたい人からの資金で活動する場合は、大学から指揮されずに、自由に活動することができます。

けれどもそれは、たとえ学生のみで構成されていても、大学の教育サービスとして存在する学生自治会の活動ではなく、「学生自治会」という名前の市民団体の活動に過ぎないので、その活動のために大学の施設を使用することはできません。

社会一般にある市民団体と同じ扱いとなりますので、不法侵入罪となります。

大学の教育サービスとして存在する学生自治会の執行部の学生が、同じメンバーで、資金を完全に分けたうえで「学生自治会」という名前の市民団体を兼務した場合でも、 市民団体としての「学生自治会」の活動を行うときは、大学の施設を使用することはできません。

また、100パーセントを払いたい人からの資金で活動する「学生自治会」の場合でも、領収書の保管と経理書類の作成から逃れることはできません。

「学生自治会」が大学の指揮下で活動するのではなく、100パーセントを払いたい人からの資金で活動する場合は、権利能力なき社団として、法人税法の適用を受るため、税務申告が法人税法で刑事罰をもって義務付けられています。

法人税法の適用を受けると、法人税額が0円の場合でも、そのことを示すために、領収証を保管し、経理書類を作成し、税務署へ申告しなければなりません。

代表者の個人事業とした場合でも、所得税法の適用により、代表者は領収書を保管し、経理書類を作成し、税務申告が必要になります。

さらに、権利能力なき社団となる「学生自治会」が、会費を集めたり、補助金を配ったりしたときは、それぞれに金額に応じて税金がかかります。

権利能力なき社団となる「学生自治会」が、会費を使って、何らかの利益になることを学生に還元することが、課税事業とされているからです。

公道に付けた街灯の電気代にしか会費を使わないならば、一般社会・国民公共のためということで非課税事業と認められるかもしれませんが、町内会ならともかく、学生自治会がそれをやる必要は無いでしょう。

また、領収書が無い場合は、事業経費ではなく、誰か個人の収入に消えたとみなされるので、権利能力なき社団となる「学生自治会」に、源泉徴収課税がかかります。

他大学の学生自治会には、源泉徴収課税など、かなり高額の税金を滞納しているところもあるようです。

領収書を添付した経理書類は、事業の経費に使ったことを税務署に証明するために保管する必要があるので、必ず保存するようにしましょう。

「学生自治会」が大学の指揮下で活動する場合は、大学から、領収書の保管と経理書類の作成を要求されますが、それらは、大学を運営する法人の経理書類として保管する義務があります。

どんな形で学生自治会を運営する場合でも、税務申告は国民の義務なので、領収書の保管義務からは逃れられないのです。

経理書類を作成しない学生団体は、それを相手方とする取引書類の偽造によって、暴力団等反社会的勢力の支配する企業による脱税の温床となっていますので、今後取り締まりが厳しくなっていくものと思われます。

特に大きな大学の、大きな金額を動かす学生団体ほど、暴力団等反社会的勢力の支配する企業による脱税に利用される危険性が大きいですので、税務署や警察との連携が必要になるものと考えられます。

他大学の学生自治会の中には、領収書の保管と経理書類の作成が嫌で「学生自治」を叫んでいる所もあるようですが、国民の義務を果たさずに権利を主張する、身勝手な言い分でしかありません。


他大学には、大学当局から独立した自治活動を「公認」されていると自慢している学生自治会がありますが、法律的な認識が不足しているだけです。

大学が「公認」したというときは、何について、 どういう意味において「公認」しているのかについて、 大学当局の有する権限の範囲を考えて、判別する必要があります。

大学当局「公認」の活動とは、大学当局の責任と指揮監督に従って行う活動を言うのが普通であって、それ以外の活動は「公認」の活動とは言わないのが普通です。

大学当局から独立した自治活動を「公認」されているという他大学学生自治会の殆どは、大学当局が、学生自治会の部室の管理のみを、学生を指定して任せているだけです。

他大学のそのような学生自治会は、大学から与えられた部屋を管理することのみが、 大学当局のいう「公認」の活動であって、それ以外は全て「非公認」の活動です。

それを勘違いして、自分が関わった活動すべてが、大学当局の「公認」の活動となって法律的な拘束力を持つと思いこんでいるのです。

かつて荒れていた大学では、うるさい左翼学生を大人しくさせるために、 解釈の広い言葉を用いて、 馬鹿な左翼学生を勝手に誤解させて大人しくさせるという「教育的工夫」を、 緊急避難的に、やむを得ず行っていた大学もあり、 勘違い左翼学生が発生する要因になっているようです。

他大学では、部屋の管理について「公認」学生自治会の 「役員」の役割を負っている人物による、「非公認」会費徴収活動という事件が 多発しているようですが、そのような行為は、 会費の納付義務について大学からの命令を装ったということで、 詐欺罪に該当しますので、決して同調してはいけない行為です。

たとえ勘違いでも、横領罪や詐欺罪に該当する行為を犯した場合は、刑事処罰の対象となります。


他大学の左翼系自治会には、「最近、自治破壊で学生自治会の権限が縮小された。」と言ってる所がありますが、そういう分析は誤りです。

先にも説明しましたが、大学当局のいう「全員加盟制の学生自治会」は、法人ゴッコであり、団体として実在しない訳ですから、「学生自治会の権限」というものはありません。

学生自治会執行部の学生が、権限を持っているように見えるのは、その学生が、大学当局から業務委託されて、職員的立場で大学当局の管理権限を行使しているからです。

ここで注意してほしいのは、大学当局が権限を委託しているのは、○○君という人間に対してであって、学生自治会という団体に対する委託ではないという点です。

つまり、ある時の学生自治会長の役割を演じていた学生が委託された権限は、その人に限り有効であって、その次の代の学生自治会長の学生が、同じ権限を委託されるとは限らないということです。

例えば、大学当局の意向に沿った形で課外活動を執り行うような、信頼のおける学生であれば、大学当局は、委託する権限の範囲を広げるでしょうから、ある程度の裁量を持った運営ができることになります。

逆に、「学生自治会費を全学連に上納するかも」等と言っている学生であれば、大学当局は警戒しますから、消しゴム1個買うにも、大学当局の許可が必要になることも有りえます。

大学当局の命令が厳しくなったとすれば、それは、学生自治会執行部の学生の人間性に信頼が無いのであって、特別に自治が破壊された訳ではありません。


学生自治会とは、この様なものですから、大学当局は、学生自治会の決議も選挙結果も、 学生自治会それ自体も、潰そうと思えば、いつでも潰せるのです。

それでは、大学の提供するサービスが悪いとき、どうすればよいのでしょうか?

この問題を考えるには、 商品を買うとはどういうことか?から考えなくてはなりません。

自由主義社会というのは、毎日が投機(ギャンブル)です。

お店に行って、これを買おうか、あれを買おうかと考えて、 どちらか一方を決めるというのも投機(ギャンブル)なのです。

商品の効用と、商品代金を投機に賭けているのです。

もし、Aという商品を買って、 やっぱりBという商品のほうが良かったなぁと、 後から思っても、それは投機に失敗したのであって、自分の責任です。

同様に、自分の大学のサービスが、他の大学のサービスと比べて悪くても、それは自分の責任です。

大学の教員を見て判断した投機(ギャンブル)に失敗したのです。

もちろん、一般サービス業に対して、サービスの改善を求めることが出来るように、大学に対しても、サービスの改善を求めることは出来ます。

けれども、サービスの内容が、契約内容に反しているわけでもなく、 法律に違反しているわけでもなく、大学の方針と自分の要求が合わないだけという場合は、投機に失敗した自分の責任として、諦めるしかありません。

サービスの購入には、大なり小なり、失敗があるもので、自由主義社会においては当たり前のことです。

商品の購入に失敗して、自己実現が達成できないときは、代わりの商品を探しに行くのが、自由主義社会における対処方法です。

大学生活においても、入学前に期待していたものが、完全に実現することなど、絶対にありえません。

例えば、「自分がやりたいと思っていた課外活動が、大学当局に認めてもらえなくて出来ない。」ということは、よくあることです。

そういうときは、地域のサークルに入るとか、バイト先の会社のサークルに混ぜてもらうとか、大学の外で市民サークルを作るとか、代わりの方法を探して、自己実現しなければなりません。

サービスの提供元に干渉してでも、自己実現する権利があると考えるのは、共産主義的発想であって、自由主義社会の予定するところではありません。

もちろん、「自由主義社会の方法が気に入らないから、共産主義社会の建設を目指すことで、自己を満足させるんだ。」と考えることは、自由主義社会においても、認められています。

けれども、日本が共産主義社会になるまでは、自由主義社会の方法に従って、自己実現しないと罰せられます。

それでは、投機に失敗しただけでなく、大学のサービスが、明らかに契約内容に反していたり、法律に違反していた場合はどうなるのでしょうか。

自己責任として泣き寝入り...ではありません。

例えば、大学が、嘘、大げさ、紛らわしいなどの、不正な宣伝をして、 不当に選択を誤らせた等という場合は、 通常の商品の不当な宣伝の場合と同じ対応となります。

つまり、不法行為による損害賠償請求か、監督官庁への指導要請、または、刑事告訴ということになります。

民事上の対応としては、サービスの提供内容が契約違反ということで、様々な司法支援制度を利用したり、訴訟や民事調停を裁判所に訴えるというのが正しい対応方法です。

他大学の学生自治会のなかには、法的トラブルに対応すると言って、会費を集めている所もありますが、学生自治会の活動として法的トラブルに介入すると、弁護士法違反で罰せられます。

特に、「交渉」と称する業務妨害行為によって、法的トラブルに介入する行為は、「民事介入暴力」と呼ばれ、暴力団がやる犯罪行為ですので、学生自治会が真似をすべきではありません。

また、暴力団等の影響力下にある人達が、「○○派」を名乗って介入してくることが有りますが、彼らに決して協力を求めてはいけません。

まともな会社には絶対に雇用されないような主張をする「○○派」の人達は、暴力団等の影響下にある裏社会の仕事でしか収入を得ることができないので、彼らは暴力団の支配下にあるのです。

暴力団等の影響下にある人達からの干渉に対抗するには、警察その他の行政機関との連携が必要です。

大学業界の自主的なサービス改善策を考えるうえで、「国家権力が、大学に直接干渉するのは良くない。」と考えるならば、各大学が協力して、不当競争を防止する業界団体を作れば良いのです。

広告・マスコミ業界ならば、ジャロとか、BROなどがありますが、それの大学版を作ればよいのです。

これが、自由主義社会の問題解決方法なのです。

選挙で選んだ学生代表が学長と交渉するというのは、計画主義(共産主義)のやり方です。

左翼系の人の多くは、学生を一つの階級と位置付け、 大学当局との交渉を階級闘争とする考え方を、現在も引きずっているようですが、 そのような考え方は完全に間違いであると言えます。

それでは、大学業界全部が悪い場合は、どうすれば良いのでしょうか。

そういう場合は、一般の業界に対する場合と同じように、 任意加入の市民団体を作って、大学業界を規制する法律を作る運動をするとか、 行政政策を見直してもらう運動をするという形になります。

つまり、有志が集まって、資金を持ち寄って、社会全体における大学の在り方に対する市民運動をするのです。

それによって、日本国民の自治組織である「日本国政府」の法律を改正したり、政策を見直してもらうことで、大学業界を正しく運営させるのです。

左翼系の学生は、「学費値下げ運動は、 学生全員にとって利益があるものだから、 学生全員がその費用を負担すべきだ。」などと詭弁を垂れています。

確かに、学費なんて無い方がいいと、全学生が思っています。

いっそのこと、学費も税金も無い方がいいと、全国民が思っています。

「税金が無いほうがいいですか?」と世論調査すれば、100%が「はい。」と答えるでしょう。

「学費を無くそう!税金を安くしよう!」と主張すれば、 当然の如く署名が集まるでしょう。

けれども、そのような、すべての人の負担が軽くなるような政策は夢物語であり、実現不可能です。

学費値下げを行おうとすれば、他のどこかの予算を削減するか、 増税をしなければなりません。

一生学生でいる人間などいないのですから、学生の中にも、 生涯をトータルで考えれば、学費値下げによって、 支出増・収入減になる人も出るのです。

学費値下げ運動が、金持ち等の社会的強者の負担を増やす方向に向かう運動だと単純に考えている人が多いですが、それは誤りです。

社会の歪による負担のしわ寄せは、より弱い者のほうへ向かって流れていくものです。

学費値下げ運動のような、自己の利益を主張するだけの運動が、社会全体に蔓延すれば、当然に社会的に強い者から主張がとおり、声を上げることさえできない程の弱者の負担が増えます。

ですから、生涯をトータルで考えて、社会にとって、 本当に必要な敗者救済・復活政策とは何か? その費用はどの所得層が負担するのか? ということを考えて、運動をしなければ意味がありません。

経済的敗者の救済・復活政策の在り方や、 その費用負担の在り方についての考えは、学生ごとに違うはずです。

また、運動の進め方に対する考えも、学生ごとに違うはずです。

それにもかかわらず、学生全員に運動費用の負担を強制し、意見の異なる者の分派活動を認めない考え方は、プロレタリアート独裁の考え方であり、一党独裁の考え方です。

分派活動を互いに認め合わないから、紛争や暴力事件が起こったりするのです。

自由主義社会の政治活動や市民運動は、任意加入が原則ですから、 全員に費用負担を強制することは、法律的に認められていません。

なぜ任意加入かというと、それぞれの市民団体の存在を認めて、 自由に分派や結社を行い、政策面で競争原理を働かせ、 より良い社会を作るためです。

そして、この市民団体の構成員それぞれを結びつけている権利関係は、 民法に基づく加入契約から生じているのです。

「任意加入じゃ、全部の学生の代表じゃないから、国会要請にいっても、 相手にされない。」などと、左翼系の学生自治会は、 自分達の政治活動を自己弁護しています。

けれども、学生自治会が、全部の学生の代表だと自称しても、 法律上は、法人ゴッコの中での「代表」に過ぎません。

また、その要請した問題が、任意加入の運動に換算したら、 どの程度の運動になっているか、 国会議員は、ちゃんと理解しています。

左翼の学生自治会の応対をした左翼政党の議席数と、 相手にしなかった政党の議席数を見れば明らかです。

もし、佐賀大学学生の代表だと主張して、国会議員に付きまとい、 文句でも言おうものなら、 「佐賀大学は危険だから廃止しよう。」ということになりかねません。

そんなことをするよりも、例えば、政治の学問的研究として、各党の国会議員の方に、 大学で講演して戴く等のほうが、学生自治会の活動として有効です。

これは、癒着とかではなくて、学問をがんばっているところを、アピールすれば、 「あの大学はがんばっているから、 予算を考慮するかな。」という思いになるということです。

政治運動は、学生自治会のすることではなく、任意加入の市民団体が行うことなのです。


左翼系の学生自治会には、「学生自治会が学問しか行わなかったら、大学が財界の言いなりになって、薬害エイズ事件のように、研究結果が歪められる。」と言ってるところがあります。

けれども、大学の監視は学生自治会でなくても、一般市民団体でもできます。

現に、国や地方公共団体では、市民オンブズマン等の市民団体が、情報公開制度を用いて、活動を監視しています。

国立大学も国家機関ですから、学生が市民オンブズマンに参加して、活動を監視することができるのです。

私立大学においても、国から補助金や特権を与えられていますから、その方面から情報公開を要求し、活動を監視することができます。

学問的研究のための学生自治会費を、違法に流用してまで、政治運動をする理由は、全くないのです。

むしろ、学生自治会にしか情報が公開されないほうが問題で、銀行のように監査法人による監査を法律で義務付ける等して、研究活動の内容と資金源をガラス張りにすることが重要です。

研究者への資金の流れが分かれば、利害関係が分かるわけで、 研究結果の信用性を考える上での資料の一つになります。

また、どういう研究が盛んで、どういう研究が疎なのかが、公になるので、社会的に必要なのに行われていない研究があれば、研究するように要求する市民運動が出来るようになります。

他大学には、「うちの大学が学生自治会としか交渉しないのは、学生自治会が強いから。」などと言っている左翼系学生自治会が有りますが、それは間違いです。

学生だけでは、法律や会計については素人なので、厳しく追求しているつもりでも、核心に達しないことも多いのです。

学生自治会としか交渉しないと言ってる大学は、ズル賢い大学であって、真に民主的な大学ではないのです。

左翼系学生自治会の活動は、無意味で有害なだけで、任意加入の市民運動が重要なのです。

任意加入の市民団体が、運動を行うことの有効性は、西側諸国の歴史のなかで明白なことです。

共産主義的方法が、殺し合いと、暗殺、独裁の歴史を生み出したことも、明白なことです。



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